社会人として普通に過ごす日々。
少しの息苦しさがあって、朝起きるとそこ大小が決まる。
承認欲求が満たされていないような
環境に不満があるような
運動不足のときのような
食べ過ぎの胸焼けのような
体調不良の気怠さのような
どれにも当てはまり、どれにも当てはまらない感じです。
仕事でパソコンをみて、1日8時間頭を使う。
家に帰ると眠るまでゲームをして、SNSを見る。
頭が処理に困ってるんだろうと思ったり。
それでも開いちゃうのは依存ですね。
少しはボーッとする時間を増やそう、、、
やりたい事ってなんだ?
高校生までは、当たり前に学校に行き部活をして帰ることの繰り返し。
高校3年の終わりに将来と進路について考え始め突きつけられる問いが、
「自分のやりたい事は?」
「何の仕事に就きたい?」
いや???私が聞きたいが????
大学で学んでいた健康やスポーツも、仕事にしたいかと言うより自分が出来たらそれで良い。
何の仕事に就きたいかなど、希望はない。
“生きていくのにお金が必要だから働く”だけなのです。
個性を活かし、進路を自分で決められる
この素晴らしい時代が息苦しいだなんて、
なんて贅沢で我儘なんだと頭を抱えそうです。
仕事にしたい事もないのに、いざ働くと“この仕事に満足してないなら”“働きたくないな”と感情が強く出やがるんですよ。
俯瞰的に過ごす自分に、自我が襲ってやがる。
息苦しいっすわ。ほんと。
ちょっと転倒
社会人になる時に、何だかすごく不安がありまして、堅苦しくて苦手なスーツを着て入社式に向かったんですよ。
少しだけ式が長くて疲れて帰り、明日からの研修の準備をして寝ようとすると
何故か寝れなかったんですよ。
それが少し続いて、ちょっと心崩してお薬もらって、友人のおかげで快方に向かい。
今では何ともないんですけど、その前後で何か少し違う気もするんですよね。
ただ、ただよ?
これは私が弱いだけなので、こんなとこで話にも出したくないなと思う反面、私のことなので書きました。
弱すぎてやんなっちゃうよね。
裏腹に
やりたい事というか、その息苦しさを払拭する良い手段が“運動”です。
身体を動かしている時は、それだけに集中しているので、運動は好きなのかもしれません。
音楽を生業にしている友人から、
歌が上手だから音楽したら良いよ
地質学専攻の友人から、
質問が本質的だから地質学んだら良いよ
と褒められる事がありまして、ありがたい話です。
人から褒められる才能や能力があったとして、
これを専攻し仕事にする友人と
置いといてしまう私の違いは何でしょうか。
さいご
きっと心の中にある、やりたいことの種を
育てずに放置する私も息苦しいっすわほんと。
昨年、転職はしたんだよな
動けたんだよな
一歩だけなんだよな
おもてぇなあ足。

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