発展は幸せか

ここ数十年で、何もかもが新しくなった。

私が生まれて、たった25年で全てが便利になった。

買い物も、連絡も、調べ物も、娯楽ですら

このスマホで解決する。

利便性を追求し発展してきた、素晴らしい発展だ。何もかもが楽になった。手軽になった。

しかし、ふと思う

便利である理由も無いのではないか

野菜がよく育つ、楽に収穫できる、病気で苦しむ人が減る。

そのくらいで良いのではないか、

極端にいうと平成初期くるいで世界全体が止まっていたら、その方が幸せだったのではないかとそう思うんですよ。

その方が幸せなんじゃないや、

その時より今が幸せだと言えないのではないか。

暇が耐えられなくなる

昔って電車乗ってた時どうしてたかな

見たい番組ない時どうしてたかなと考える。

スマホで何でも得られる様になり、何もしてない時間が退屈に感じる様になった。

ずーっと情報詰め込んで、目も頭も疲れても

それを感じず暇に詰め込む様に情報を摂取する。

この先できっと、

何にも触れてない時間が苦痛になる

この先もっと娯楽が容易に手に入る様になり、

スマホでより色々な事ができる様になると今よりも依存する。

そしえ情報の摂りすぎから、脳の疲労が蓄積していきそう。

画面に向かって文字を打ちながら、

こんな事を考えてるのも皮肉ですね。

まとめ

利便性の追求の果てにあるのは、幸せではなく

利便性とのギャップで生まれる

暇を埋めたい欲と疲れなんじゃないかと思います。

運動でもしてこようかな

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